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新作

 投稿者:グレ  投稿日:2013年11月23日(土)06時01分29秒
  考えている大作を進めている。二年の時間を費やしていた労作といえるだろう。今後,浅暮が書こうとするものはなにか、しばらく自身にも迷いがあった。しかしこの労作でふっきれた感がする。なにより書いていて楽しいのだ。ひさしぶりに小説を書く事が愉快と実感した。悪い事ではないでしょ。  
 

AB様

 投稿者:グレ  投稿日:2013年11月12日(火)02時42分25秒
  何度もお手数欠けて失礼しました。ということは僕が番号を押し間違えたわけらしいですね。ごめんなさい。では、あらためてMちゃんに電話してみます。どうか、ご容赦を。浅暮  

AB様

 投稿者:グレ  投稿日:2013年11月11日(月)00時34分15秒
  お教えいただいた某氏の電話番号ですが、念のためにかけてみると男の人がでました。お手数ですが、再度、お知らせいただけますか。浅暮  

AB様

 投稿者:グレ  投稿日:2013年11月 8日(金)22時41分4秒
  AB様 メールありがとうございました。御礼の返信を出したのですが,アンデリバリーとなってかえってきました。なのでここに御礼をば。  

(無題)

 投稿者:田村  投稿日:2013年11月 8日(金)13時09分14秒
  でも、本出せないんだろ。依頼なくて。可哀想に。  

田村様

 投稿者:グレ  投稿日:2013年11月 1日(金)05時23分52秒
  田村様
面識があるのかどうか、あるいは当方を応援しようとする叱咤激励なのか判然としませんが、お書きになった「久しぶりにきたら、去年の書き込みであった」とは、誤りであります。浅暮にどれほど読者、ファンがいるかどうかは、確かに疑問ですが、書き込みについては2013年と記録されていますでしょう。お見落としないように。

さて、今回、私があえて、ここに書き込んだのは私の読者に関することです。浅暮には読者もファンもいないのか、つまりは、とても少ないだろうと田村さんが御認識されているのは明晰で、確かに当方はマイナーな作家です。作品も、どっと売れたり、テレビや映画になるものではないでしょう。当方が手がけている小説とは、そのようなものだと覚悟しています。ここにひきもきらず、読者が訪問してくれるようになることが、読者やファンがいることの証左ならば、確かにファンはいないのでしょう。

むろん小説も自由経済市場においては、ひとつの商品ですので、品質としては、コストパフォーマンスのよい自動車のように、より廉価で、より多数販売されることが望まれるでしょう。大量生産できることもです。しかし私の書く小説は、残念ながら、そのような指向下にはあらず、自身が訴えたいと考えるプロパガンダでした。そこには商品としての性能ではなく、商品としての意義を重視していたと理解していただきたいと思います。

おそらく田村さんは、文の短さから軽い気持ちで書き込みを残されたのだと思います。しかしネットの書き込みとは,外見上は個人のつぶやきと思えつつ、実は駅前で大声で叫んでいるのと同じであるという認識は少ないようです。つまり発言は固定された文字として厳選とし、影響を持つのです。しかし私の、この記述はそちらさまへの抗議ではないとご理解ください。抗議でなく、伝えたいのは、少ないにしても私の作品を読んだり、購入してくれた方を代表して述べたいのです。少ないにしても、その方たちは、私の小説を購入し、その理由はおもしろそうだから、さらには継続購入していただいた方は、対価を支払って買ってもいいとの価値判断にあったのです。

小説の面白さ、あるいは種類とは多面的であってはならないのでしょうか。むろんそれは誰にしても、否定されないでしょう。となれば、バルザック大作家もカルビーノも、さてはバーセルミもよしでしょう。実は先月、御大、伊藤典夫さんと面会しました。「浅暮、いつまでも難しい作家にこだわるな」との助言をいただきましたが、それは一方で浅暮も、そのはしっこに、いるとのご見解をいただいたことにならないのでしょうか。

以上,つれづれなるままに述べました。田村さんもそれとして、私は聞きたい。
おおい、さあさあ、編集者諸氏を考えてくれたまえよ。田村氏の提言を借りて。

追記、佐藤江梨子さんの芸姑を原作には登場しないと書いたが誤りであった。原作では最終部分で出てくる。放送ではそれをいれかえて早めの登場になっていたのを誤解していた。深謝します。
 

久しぶりに来てみれば

 投稿者:田村  投稿日:2013年10月31日(木)23時14分56秒
  これ、去年の書き込みだよね。読者もファンもいないのか、浅暮三文?  

 「夫婦善哉」が始まった。

 投稿者:グレ  投稿日:2013年 8月26日(月)01時56分1秒
   「夫婦善哉」がNHKで始まった。旧友であるFM東京のS藤さんと久しぶりに荻窪の「ふんよう亭」で食事をし、その際に明日からと聞いたが、番宣をちらりと見ていただけの僕は、いつものようにダイジェスト一回限りのものだろうと想像し、シリーズと分かったときは、それほど力を入れているとはと思った。なにしろ、今までずっと、この名作は理解者を得ず、不遇だったからである。僕は英米文学を主に読んできたので、日本文学はからきしだが、その中でも織田作之助は数少ない全集を読破した作家である。それを記憶していたS藤さんが、久しぶりと声をかけてくれたのである。番組は、なかなかよかった。初回なので、まだ判断はつきかねるが、出色は佐藤江梨子さんの芸姑とヒロインの父親たる河童横町の天麩羅屋の親父、日野正平さんだろう。原作には登場しないが佐藤嬢の浪花芸姑はお尻がいい。芸姑のお尻である。つまり着物がよく似合う。芝居をお尻でするのは、かなりの造作が必要であろう。原作にあるヒロインの所作を読んで「立て込んだ客の隙間へ腰を割り込んでいく」のことだろうか。失礼ながら、もはやそれは、お尻でもなく、ヒップでもなく、つまりは「おいど」である。彼女は小説も書いている様子なので読む必要があるだろう。また日野氏の天麩羅屋の主人の芝居には匂いがあるのである。原作では天麩羅屋の主人は鼻水をかみながら、鍋に向かうのだが、日野さんはそれをしない。しないのに、鼻をすすっている様子がする。これは匂いでである。つまりは匂いによるリアリティだ。僕も一時期、多少とも芝居を齧った経験があるので、芝居に大切なのは、観客の思いに、するりと入りこむことだと実感している。それはうまさではなく、匂いといえる。両役者には、その匂いがある。ただ心配なのは、この時代に、この物語をシリーズで展開する理由である。企画書には、どのように書いてあったのか。それを知りたい。というのも今の若者以上の年齢の人々(主人公らと同年輩)に、この物語世界の情緒やおかしさ(バルザックやイブリング・ウォーのような諧謔)が、すとんとくるのかどうか。「きゅうり切っての勘当=久離切っての勘当」も含め、あるいは貧乏とは、いつまでも共通の情緒を養ってくれるのか。ここから次のバクーニンのような思いでも醸成されるのだろうか。あるいはこのような親密な人間関係がかつて共同体にはあったというアンチテーゼか。文化が価値観を生じるのかどうか、そこをぜひ期待しつつ、楽しみにしたい。補足したいが、東京駅近くの「正弁丹吾亭」はまだあるのだろうか。ご存知の方は書き込みをお願いする。  

シュリンプ様

 投稿者:グレ  投稿日:2013年 4月17日(水)01時39分52秒
  当日は連休なので28日でもいいですかね。  

しゅりんぷ

 投稿者:グレ  投稿日:2013年 4月16日(火)04時24分46秒
  今年も四月二十九日が近づきましたね。去年のように荻窪Fに集いましょう。連絡、お願いします。浅暮拝  

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